2024年07月31日(水) 「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の 薄い人だな。なぜ疑うのか』」マタイ14:31
「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の 薄い人だな。なぜ疑うのか』」マタイ14:31
有名なペテロの海上歩行だ。嵐の中でパニック状態の弟子たちのも とへ、主が湖の上を歩いて来られた。その時、ペテロは、自分も主 のもとに行きたいと願った。「私に、水の上を歩いてここまで来 い、とお命じになってください」と。ペテロは、主の言葉さえあれ ば、できると信じた。水の上をも歩けると。すると主は、「来なさ い」と御声をかけて下さった。 主の言葉は100%成就する。御言葉があれば、すべては可能で、そ の通りになる。ペテロは、歩ける事を信じたので、舟から出た。 そして水の上に足を置いて、一歩を踏み出した。ペテロの信仰だ。 するとペテロは水の上を歩けて、主の方へと、歩を進めた。その 時、風が吹いて、ふっと風に目をやると、突然恐怖が来た。 水の上を歩くなどと有り得ない・・。自分は何をしているのか。主か ら目を離して、風を見た途端のことだった。ぶくぶくと沈みかけ、 恐れで叫んだ。「主よ。助けてください」。主は「すぐに」手を伸 ばして、ペテロをつかまれた。ペテロが水の上を歩いた時も、沈み かけた時も、状況は全く同じだった。何も変わらない。 状況の問題ではなくて、違ったのは、ペテロが何を見ていたかだっ た。主を見ていた時は歩けて、主から目を離すと沈みかけた。私た ちは、ある時突如として、大きな試練にぶち当たる。何をどうして よいのかわからない。理解もできない。なすすべも無い。余りに巨 大で飲み込まれそうだ。 しかしこの一点だけだ。主を見ているか、問題を見ているか。いつ も学ぶが、「神視点」に立つ。そしてそれが信仰だと言われてい る。そこに立つ時に、問題の見え方が変わって来る。水の上を歩い て行ける。幾度も〃学ばせられる。 ------------- 主に従っていても風は吹いてくる。突然のことに動揺しても、主が おられると神視点に立ち戻ろう。問題の中に共におられる主を見る なら心が守られる。波に飲み込まれず主を見よう。