2025年02月28日(金)

「だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通り で施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いては いけません」マタイ6:2 



施しをする時、又、祈る時には、偽善者のようであってはいけない
と言われた。「偽善者」とは、「役者、俳優」のことだ。つまり演
技をする者のことだ。俳優とは何をするのだろう。俳優は、脚本家
が書いた通りに、その人物を演じる。脚本通りに、監督が指示し、
演技指導する。俳優は、そこに描かれた人物を、監督の指示通りに
従って演じる。それをいかに巧く表現するかで評価される。

いかにその人物になりきるかが勝負だ。それは自分ではなく、完全
な別人だ。偽善者とは、自分ではない人物を演技する者のことだ。
それは「彼らは人に見られたくて」とあり、人の賞賛、評価を得た
いがためだ。人に認められたい。エデンの園でアダムが罪を犯し、
主から離れた時から、主との麗しい関係は、しゃ断「された。その
ため人は、人の愛情を求めるようになった。

目に見ない主ではなく、目に見える人の愛を求めてしまう。誰もが
その弱さを持っている。人に受け入れてもらいたくて、良い人を演
技してしまう。それは、自分ではない別人物だ。嫌われたくなくて、
人に気に入られる言葉しか言えない。これが偽善だと。それが祈り
になると、きれい事の祈りになる。

演技の祈りであって、いっさい天に届いていない。主は、あるがま
まの正直な気持ちを受け止めて下さる。それを待っておられる。あ
るがままの私たちが愛されているので、主も別人をどうにも出来な
い。あるがままのを祈りを、主に持って行こう。
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人の目を気にせずに何かをすることは難しい。その弱さを持ってい
るから常にありのままで主に向かっていたい。偽善が身について、
自分自身が欺かれないよう、弱さを覚えていたい。