2025年09月30日(火) 「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだ から、私を救い出してくれるでしょうか」ローマ7:24
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだ から、私を救い出してくれるでしょうか」ローマ7:24
「いのちの御霊の原理が、あなたを解放した」と。原理とは法則 だ。法則とは、例外無く当てはまる事で、一つでも例外があれば、 それは法則でない。私たちの中に、一つの法則があると。「善を したいと願うのに、悪が宿っている原理」だ。新生したパウロは、 新しい性質を宿し、善をしたい。主に喜ばれ、御心に歩みたい。 主に従いたいと願う。 私たちも主に喜ばれる事をしたい。だが、それに逆行する法則が 存在する。「悪が宿っているという原理を見いだす」。罪の性質 がある。物を幾ら上に投げても、必ず下に落ちる。そのように私 たちは、善をしたいのに、悪を行なってしまう。これがどうにも ならない。自力で善行を少しはするのだが、必ず落下する。 どんなにあがいても、主に従う事ができない。それを徹底的に経 験したパウロは「私は惨めな人間、誰が、救い出してくれるのか」 と叫んだ。心底の叫びだった。「誰が」と言い、自力では不可能 だと悟った。どうやっても、落ちるばかりだ。主を仰いだ時に解 決を見た。 主が、別の原理を備え、解決して下さった。「命の御霊の原理」 だ。物は下に落ちるが、手で受けると落ちない。御霊の力により 導かれる時に、落下せずに、生き生きと喜んで、自由に主に従っ て行ける。御霊が働く領域だ。自分を明け渡し自力でなく、御霊 により歩めるよう、祈ろう。 ------------ 自分で頑張ろうとするが、今日は出来ても明日は出来ない。出来 れば自分を褒め、出来なければ喜びがない、これが限界ではない だろうか。恵みも平安も主から受け取ろう。主を仰ぎ御霊によっ て歩もう。