2026年02月28日(土)

「ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりで あり、ある人たちにとっては、いのちから出て、いのちにに 至らせるかおりです」II コリント2:18



私たちは、主の証しをし、福音を伝える。「聞いたことのな
い方を、どうして信じることができるでしょう」「宣べ伝える人
がなくて、どうして聞くことができるでしょう」と、ある通りに。
しかし、私たちが伝える証しは、ある人には命に至らせ、あ
る人には死に至らせる。太陽は一つだが、その太陽は氷を
溶かし、又、粘土を固くする。

同じ太陽が全く正反対の結果をもたらす。主の言葉は、受
け入れる人々には永遠の命を与え、拒む人々には永遠の
死という、極めて厳粛な結果をもたらす。永遠の命か死か
は、福音を聞いた人の出す結論で選択であり、その人の
責任だ。私たちにその責任はない。

だがパウロは主の言葉に混ぜ物をせず、純正の神の言葉
を、真心から、主によって、主の御前で語った。私たちもキ
リストの香りを放つ者として、用いられるなら、何と幸いだろ
う。「あの人といると何か心安らぐ」「彼と会うと元気がもらえ
る」「彼女には悪口が無い」」「彼といると励ましを受け、前
向きになれる」・・福音を伝えた相手の選択に責任はないが、
自らの言葉と行動には責任がある。

遣わされた場所で、日々どんな香りを放っているだろう。又、
兄弟姉妹の中で「あの人と交わると、何か霊的に引き上げ
られる、恵まれる」そんな香りを放てるなら、どんなに幸いだ
ろう。主に自分をゆだねて、通り良き管と用いて頂こう。

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日々どんな香りを放っているだろう。不満、愚痴、不機嫌、
イライラならどうだろう。周囲は嫌な気持ちになり、害毒を
流してしまう。感謝が流れたなら、どんなに良いだろう。
主に助けて頂こう。明け渡して行けるように祈ろう。