2026年05月31日(日) 「 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで 私を組み立てられたからです。私は感謝します。あな たは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私 のたましいは、それをよく知っています」詩篇139:13
「 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで 私を組み立てられたからです。私は感謝します。あな たは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私 のたましいは、それをよく知っています」詩篇139:13
この世の宗教、人間が作った神は、人間が、神を背 負わなくてはならない。造った者が、造られた者を運 ぶからだ。石や木、金や銀で作った偶像は、何もで きず、人間の重荷となる。重いノルマで、人は安らぎ どころか、苦しむ事になる。慰めや希望が無いばか りか、支える事もできない。 しかし主は、私たちを母の胎内にいる時から担い、 生まれる前から運んで下さった。年老いてもずっと 背負い、私たちの一生の責任を負って下さる。途 中でだめになったからと、背負う事を止められたり しない。すでに担って下さっている。一生涯、年老 いても何の心配も無い。又、心配事も担って下さっ ている。 「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をに なわれる主」の通り。そして私たちが神に委ねると いう事は、神が下さる環境が、自分の思いや計画 と違っても、神を信じて受け入れる事だ。信仰人生 は、自分の思い通りにならない事の方が多い。し かし、人生のすべての道筋において、そこに神を認め て行く時、神があなたのために備えて下さった、最 善の道を歩んで行ける。 そこには必ず平安と喜びがあり、豊かな実を結んで 行く。神の道は、しばしば自分の思いとは違う。決し て思い通りでは無い。高くて深く、想定外の事が、しば しばある。思いと違っても、それを受け入れて、信仰に よって、歩を進めて行く時に、主が担い、運んで下さっ ている事を経験して行く。受け入れられるよう祈ろう。 ・・・・・・・・・・・・・ 天地を造られた主は、人に支えられる必要はない。主が 私たちを支え、荷を負って下さっている。何と平安なこと だろう。すぐに自分が負ってしまい、疲れ果ててしまう。主 に負って頂こう。繰り返し立ち返ろう。