2004年07月31日(土)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私達は何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません」(Tテモテ6:6)

すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならないとあるように、貪欲は罪だ。貪欲の罪により平安と満足を奪われてしまう。欲しい物と必要な物は別だからだ。それを混同すると、次ぎから次ぎへと持てば持つほど欲しくなる。欲望とはそういうものだ、私達の生きている目的は物を貯める事ではなく、神を知る事だ。これをいつもしっかりしておかなければならない。貪欲から他の罪へと発展して行く。ダビデは他人の妻を欲しがった事から姦淫、盗み、殺人へと発展した。貪りは偶像礼拝である。この世の富や物で心の満足を、幸せを得ようとする事だから。貪欲は貪欲を生み、決して満足する事はない。主にのみ真の満足がある。
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貪欲の欲望は際限がない。求めても求めても、決して満たされることがない。欲望とはそうだ。神により初めて心の満たしを経験する。何においても得られなかった、満ち足りる平安を存分に味わう。的はずれの方向に満足を求めるても絶対に与えられない。心に満たしがない時、他のいっさいでなく、神に求めよう。