2004年09月30日(木)

『私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません」』(詩編16:2)

ヨブは大変な試練に会った。それには舞台裏がある。サタンが神のもとに来て「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」と中傷したのだ。この意味は、ヨブが神を敬っているのは、得るものがあるから、祝福の副産物があるからだと。それで、神はサタンに条件付きでヨブを試す事を許された。神がヨブを信頼し、見込んでおられたからだ。三浦綾子さんは、生存中、次から次と病気の人生だった。しかし、「私は神様に特別にひいきされている」と信仰的態度でそれを受け止めた。 病気は、綾子さんを神に更に近づける事しか出来なかった。私達が次々と苦しみや悲しみに会い、富も、健康も、家族も友も何もかも無くした時、何が残るのだろう。何もかも無くしたとしても、神が残る。そして、人は苦しみや悲しみに練られきよめられて行く時、神がすべてとなり、ご利益があるからでなく、神が神であられるゆえに愛して行くようになる。
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「この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし、神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地」苦しみ悲しみで自分自身が尽き果てる時に、神がすべてであられると初めてわかる。試練は痛いが、何にも変えられない大きな恵みをもたらしてくれる。