2005年02月27日(日)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1:2)

ある人は身体が弱く、あちこちが悪くていつも病院通いをしていた。しかし、歳をとった時、そのお陰で悪いところは、すべて治療済み、身体もいつも点検しているので、普通の人より至って元気だ。試練も同様だ。しょっ中打たれている人は、心が良くなる。神に近く歩み、神から教えられ、いつも学べるので、霊は元気だ。すぐに神から離れて自力本願で行く私達を、試練はたちまち神のもとに戻してくれる。パウロは厳しい試練に不平も愚痴もなく、神の恵みは自分に十分で弱さの中に神が働かれる、故にその弱さを誇ると言った。弱さの中で初めて神に祈る事を知る。神に頼って頼って、拠りすがる事によって、神の力を知る。弱さがあって初めて可能だ。弱さは恵みだ。
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試練は2種類ある。神から心がそれ離れている時、神に立ち返らせるためと、もう一つは罪のゆえでなく、更に聖くされるために、更に成長のために与えられる。その時は試練の下におり通過するなら、神を深く知り更に成長へと導かれる。嫌々強いられてでなく、この上ない喜びと受け止める時心が違う。