2005年05月31日(火)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」エレミヤ29:11

試練は必ず来る。救われた目的は御子のかたち
に変えられるため、聖くされるためだから。楽な
人生を送るためではない。世の人は災いを恐れて信
仰する。順境の時も、こんな良い事が続くはずが
ないと怯えている。私達は違う。災いは存在しない。
災いは実は、平安と将来と希望の計画だ。一見
「災い」の中にそれを見る事が信仰だ。練りきよめ
られ成長する。「苦しめ、試み、ついには幸せにす
る」ご計画だ。試練の時の反応がある。★いら立
ちや怒りを外部にぶつけて当たる。★自己憐憫に
陥り自分の殻にこもる。★苦しみを感じないよう感
情を抑圧し無感覚になる。これらは間違った態
度だ。痛いだけで何の成長もない。逃げず避けず
試練を真正面から受け入れる事だ。パウロとシラ
スは牢獄の中で賛美した。神のみこころを受け入
れたので、そこに自己憐憫のかけらも無く、不平も
無く、心の底に満足があった。試練を受け止める時、
自己中心でわがままな者が、変えられて行く。
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何事でも、受け入れる事って難しい。出来ない。強烈
な自我が妨げる。何かを受け入れるとは自分が死ぬ事だ。
自分に死ぬ事。しかしその時、悲惨な状況のまっただ中で、
心の底に不思議な平安と満足、喜びを経験する。