2005年08月31日(水)

「悪魔は・・この世のすべての国々と栄華とを見せて、言った『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう』」(マタイ4:8)

悪魔はあなたの強い欲望につけ込んで来る。「そん
なに欲しいのなら、私があげる。地位?賞賛?幸
福な家庭?あなたの夢を叶える。神の代わりに
私が与える。だから神を捨てよ。喉から手が出る
ほど欲しいその幸せを得るのだから、神でなくとも
いいだろう」神は必ず時間をかけられる。長い。
忍耐出来ずしびれを切らす。祈りなど聞かれない、
何も良い事がない。即刻欲しい。神はあなたの内
側に関心をお持ちだ。待つ期間を通して、キリスト
に似るように練られ、忍耐を培い、動機を探り、
あなたの本性を見せ、砕き、聖め、成長させられる。
主の今後は十字架の道だ。そんな苦難を通らずとも、
あなたの願いを私が叶えると言ったのだ。あなたに
とって信仰は欲しいものを得る手段か。単に手段なら、
神でも悪魔でもよい事になる。自分の期待通りでない
と必ず神を離れる。信仰、神との交わりは目的だ。ここ
に真の変わる事のない喜びがある。与えられようと
取られようと、神を信じ、神が神であられるゆえに、
どこまでも礼拝して行く。
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何で神に従っているのだろう?目的が自分の幸せの
ためなら、幸せにさえなるなら、悪魔でも良いことになる。
絶えず悪魔は最も巧妙な誘惑を差し出して来る。自分
の姿を完璧に隠すので気づかない。あなたにも来て
いるか。今日、御霊の光の中で探って頂こう。