2006年03月31日(金)

「しかし、あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに」詩編31:22



ここでの詩編記者は、四面楚
歌だ。実際に敵から命を狙わ
れていた。又、心に罪の苦し
みもあった。身体も病があっ
たのか衰弱していた。加えて
親友から見捨てられ、離反さ
れ、どんなに痛み苦しんだろ
う。内外からの余りの圧迫に
、心身ボロボロで、もう限界
で死人のよう、壊れた器のよ
うだった。「あなたの目の前
から断たれた」と自らの信仰
すら気力喪失状態だ。
自分サイドには、もう頼るも
のが何も無い。皆無だ。
こんな彼が拠って立つ根拠は
どこにあるのか。
「しかし、あなたは」、自分
サイドではなく、「あなた」
に全根拠がある。祈りの声を
聞かれる神、神に向かって叫
んだ時に、自分の全存在が受
け止められ、愛されている確
信が来た。状況はどうであれ、
祈りが受け止められた平安が
心に臨む。何もかもが窮地の
時、神に叫び、心を洗いざら
い打ち明けよう。窮地のまっ
ただ中で、平安を経験する。
そして事態も導かれて行く。
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状況のまっただ中で一瞬で心
が変えられるのは、神様の愛
に触れた時だ。つぶやきばか
りの祈りの後でも自分に降り
注ぐ神様の愛と恵みがいかに
大きかったかを知れる。