2007年07月31日(火)

「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである」ヨハネ3:19



闇がわかるのは、闇の中に光が照らし
出されることによってだ。光が無く、
闇だけなら、それが闇という事すら認
識できない。光によって初めて闇が認
識できる。闇の中にいるなら、そこが
闇だとわからない。ベテスダの池で、
38年間病気で、池のそばに伏せって
いる人がいた。主の使いが来て水面を
動かすが、その時すぐに池に入れば、
どんな病気でも治ったが、入れてくれ
る人がいないのだと。
その人に主は「よくなりたいか」と問
われた。病気の人に、よくなりたいか
は不思議な質問だが、私達にも主は問
われている「本当に闇から出たいのか」
と。闇の中にずっといると、闇は心地
良い。自分は変わりたくないのだ。自
分を変えるには大変なエネルギーが要
る。しんどい事はしたくない。楽な方
へ流される。自我は強固だ。あなたに
もうすうす気づいている事があるだろ
うか。悔い改め、改めなければならな
い事柄、そのうっすら気づいている事
を、まず光の中に出そう。闇にあるも
のを、ことごとく光の中に出す事だ。
それは主の前に告白し、認める事だ。
「明るみにひき出されるものは、みな、
光によって明らかにされます」「明ら
かにされたものはみな、光だからです」
御霊は働いておられる。心を閉じさえ
しなければ、拒みさえしなければ、御
霊の光はくまなくあなたを照らし出す。
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罪を告白し光のもとに持ってくる時、
主はそれを完全に赦し、二度とその罪
を思い出さないと言われる。それなの
にまだ闇に隠しておきたい罪、闇の中
で握っている罪を愛している事を認め
る事ができますように。