2007年10月31日(水)

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」ローマ4:24

律法とは、神の戒めだ。「偶像を作
るな、拝むな」「御名をみだりに唱
えるな」「父母を敬え」等々がある。
「神を愛し隣人を愛せよ」「敵を愛
せよ」「言葉に気をつけよ」数え切
れないほど様々ある。律法はすべて
完全に正しい。しかし、肉の私たち
には正しく良いものである事はわか
るが、それを行なう力が無い。パウ
ロが言うように「貪るな」と言われ
ると、反対に貪りたくなるのだ。罪
の性質だ。貪りが引き起こされる。
ある人は「植木鉢をとるな」と書く
と余りにも次々盗まれるので止めた
ほどだ。「勉強しろ」「手伝え」と
言われると反発する。肉には、敵対
し逆らう性質がある。救われた頃は、
喜びで溢れているが、その内、信仰
生活が辛くなる。窮屈でしんどくな
るのだ。祈れと言われても祈れない
し、聖書もそんなに読めるものでな
い。証しなど出来ない。重荷になっ
て来る。善をしたいとは思うが実行
する力が無い。自分の力で、肉の力
で神に従おうとするからだ。どれだ
け頑張っても出来ない、不可能だ。
死のからだなのだから。自分の惨め
さ、無力をとことん味わう。しかし、
それこそが素晴らしい恵みの時だ。
その時にこそ、真に神の恵みと力、
救いを経験する。神にギブアップし、
自分を明け渡す事だ。その時、御霊
によって歩むことを知る。自分でな
く、御霊が成し遂げられる事を経験
する。
・・・・・・・
神は何も求めておられない。徹底無
力を認める事だけだ。プライドが許
さないので、どこまでも自分で頑張
る。惨めで認められない。しかし、
認めた途端、どおっーと恵みの中だ。