2008年01月31日(木) 「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」ヘブル6:1
「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」ヘブル6:1
「まだ乳ばかり飲んでいるような者は みな、義の教えに通じてはいません。 幼子なのです」幼子の特徴は世界が自 分中心に回っていて、自己の快適さを 求め、愛されることばかり求めること だ。神についても心地よい愛の部分だ けがすべてで、そこから成長して行か ない。成長のためには義の訓練があり、 「堅い食物はおとなの物であって・・訓 練された人たちのもの」だ。もし大人 の信仰者になりたいなら、訓練を受け る事を避けて通れない。大人は愛する ことを求めて行く。インスタントに霊 的成長は望めない。成長とは砕かれる ことであり、痛みを伴い、忍耐が必要 で、時には待つ事であり、手放す事で あり、失う事でもある。もし大人にな りたいなら、信仰はキリストの言葉に よるので、御言葉をしっかり受け止め て行く態度が大切だ。御言葉が、霊で ありいのちであり、神のみ思い、御心、 ご計画があるからだ。幼子は自分の思 い通りに事が運ばないと、泣きわめき ひっくり返り、自分を通して行く。従 う事は嫌で、権威に反抗する。大人は 自分の思いを砕いて、自分の思い通り でなくとも、神のみ思いを優先し、受 け入れて行く。従順を学んで行く。大 人へと成長して行く事が神の御心だ。 ------------------------ 思い通りにならない時に成長させられ るのだ。痛い、悔しい時、神様のみ言 葉を必死に慕い求めて行く。慰めを一 身に受けている事を知り、改めて従順 へと導かれて行く。自分の要求だけに 囚われてはいないだろうか。