2008年02月29日(金)

「この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される」Tサムエル17:47

少年ダビデは巨人ゴリアテと戦った。
頭には青銅のかぶとをかぶり、身には
よろいを着けていた。足には青銅のす
ね当て、肩には青銅の投げ槍を背負っ
ていた。イスラエルのすべてはこの巨
人に恐れ、意気消沈していた。完全武
装した大男に、ダビデはまだ少年であ
った。よろいかぶとは慣れていなかっ
たので、返って不便であった。武器と
言えば、石投げと石だけだった。それ
で巨人に立ち向かった。力においては
歴然とした差があったが、しかしこれ
は「主の戦い」であった。ダビデの無
力、弱さのうちに神の力が現される。
「わたしの恵みは、あなたに十分であ
る。というのは、わたしの力は、弱さ
のうちに完全に現われるからである」
ダビデは主の戦いを戦い、勝利した。
弱いままで良いと言われ、むしろその
弱さの中にこそ神の力が働くと。私た
ちも自らの足らなさ、弱さを覚えてい
るだろうか。自分を見る時、落胆し、
とてもじゃないがだめだと諦めるだろ
う。しかし、神は私たちの力を、求め
ておられるのではない。私には出来な
いが、神には出来るという信仰であり、
言われた通りに従う従順だ。弱いまま
で良い。無力のままで良い。今、目の
前に示されている事があるなら、信仰
もって従おう。主の戦いであり、われ
われの手に敵を渡される。勝利を見、
主の栄光を見る。
・・・・・・・・・・・
小さな石は的確に急所を射て、敵を倒
した。主が戦われたからだ。目の前の
大男、難題は主の戦いだ。必ず勝利を
見る。小さく弱いままで、主に従い、
主の方法に従おう。目の前の一歩に従
おう。