2008年03月31日(月)

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12

パリサイ人と取税人の祈りがある。取
税人は、神と自分だけしかなかった。
神の前の自分を見て、罪を認識できた。
ゆえに罪が赦された。そこに人はなか
った。しかし、パリサイ人は、神と自
分でなく、人と自分であった。そこに
人がいるだけで、神はない。必然的に
罪の赦しも無い。サタンは常に、私達
にも同じように誘惑を向けている。自
分がどういう状態であるのかを、「人
との比較」で見させる。自分はどうで
あるのかを、人と比較して見た自分、
に向けさせるようにする。あなたにも、
いつも人との比較の思いが来ていない
か。人との比較が基盤になっていて、
人と比較して、自分の足らない部分、
欠けた部分を見つける。そして、その
足らなさを改善しようとする。改善で
きなければ、落ち込み、自分を責め、
劣等感に陥る。そして改善できれば、
優越感に浸るし、又、人より優ってい
れば優越感に浸る。劣等感と優越感を
グルグルするのは、その根底が人との
比較にあるからだ。あなたは何をもっ
て自分を量っているだろう。無意識に、
人と比較して自分を量っている事は多
い。悪魔の罠だ。そして、そこにある
のは高慢だ。私達の基準は人ではなく、
向き合うべきは神であり、御言葉だ。
御言葉は鏡だ。御言葉に自分を照らさ
れる時、罪をする。人との比較でなく、
御言葉に示され御言葉によって生きて
行く。その時、自分が変えられ、ます
ます自由にされ、成長して行ける。
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自分には何もない、頼るのは神様のあ
われみだけと言いながら、人の持って
いるものも羨ましかったり、人との比
較で自分を量っている。だた主と自分
との関係によって生きてゆきたい。