2008年04月30日(水)

「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」マタイ7:10

自分にしてもらいたい事は、人によっ
て違う。ある人は悩みの時、放ってお
いて欲しい。ごちゃごちゃ言われると
煩わしい。しかし、ある人は放ってお
かれると、冷たく感じる。そのまま自
分の思いを人に適用するなら、的はず
れになってしまう。つまり自分を中心
にした肉の思いで、判断するのでは無
いという事だ。自分のフィルターで判
断して行くと「小さな親切、大きなお
世話」になってしまう。自分の思いを
相手に押しつけるばかりだ。御霊の導
きを求め、御言葉の価値観、神のお心
に照らし合わせて、その価値観の中で、
自分ならどうして欲しいかと考え、つ
まり主の御心をもって、相手に対応し
て行くことだ。御霊にある、御霊に導
かれた自分がベースだ。御霊に導かれ
て相手にした事が、必ずしも喜ばれな
い時があるかも知れない。しかし、そ
れは真に相手の益のためであり、その
結果を見守っていると、時を経て、必
ず素晴らしい実を結ぶ。神の栄光が現
れる。つまり、「自分にしてもらいた
いこと」とは、神の御心を、というこ
とだ。私たちの真の願いはそれである
はずだ。その前の御言葉の関連による
と、何が正しい事で、神の御心かを祈
り求めるなら、必ず正しい判断、識別
を与えて下さり、ほかの人にそのよう
にして行けるということだ。
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「自分がしてもらいたい事」を肉の自
分に照準を合わせていたなら、的はず
れだ。世に調子を合わせるのではなく、
御霊に導かれた自分、つまり神に喜ば
れる事をして行くことだ。