2008年05月31日(土)

「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」マタイ15:27

「主よ。ダビデの子よ。あわれんでく
ださい」と、悪霊につかれた娘の助け
を、彼女は本気で、真剣に主に叫び求
めた。主は、心から叫び求める願いに
答えて下さるのではないか。私たちは
そう思う。しかし、主は「一言も」答えら
れなかった」。切なる、必死の求めに
全く答えられず、沈黙されたままだっ
た。弟子たちがいらいらし、不平を言
って来た。それで、それに答えられた
形で「イスラエル以外には遣わされ
ていない」と言われた。彼女はその主
の言葉で悟った。自分はダビデの子
ではない。イスラエルではないので
「ダビデの子よ」という資格はないの
だ。それで、ただ「主よ」と、更にへり
くだり、御前にひれ伏して願った。
その正しい位置とへりくだりは、主の
答えを引き出した。しかし答えは「子
供たちのパンを小犬にやれない」と
だった。彼女への試しであり、へりく
だって小犬と認め、尚、求めてくるか
を見られた。彼女は「そのとおりです」
と自らを小犬だと認めた。恵みに価し
ない者だと。しかし、彼女には信仰が
あった。小犬でも、食卓からのパンく
ずはもらえる。恵みと慈しみの主だと
信じきっていた。主はその信仰を「立
派だ、見上げたものだ」と驚かれ、喜
ばれた。「願い通りになるように」と娘
は癒された。
・・・・・・・・・・・
答えを受け取れるように主は導いて
おられる。彼女はへりくだった。決して
諦めない。主は絶対にあわれんで下
さると信じていた。得ても得なくても
どっちでもよい程度なのか、願いが本
気で本物なのか試される。