2008年06月30日(月)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:19

信仰生活において二種類の人々
がいる。嫌々ながら、面倒だが、し
かし神は正しいので、律法に縛ら
れて仕方なく信仰生活をする人々
がいる。一方、心から神に従いた
いので信仰生活をする人もいる。
律法にがんじがらめの信仰は、肉
の心で信仰の歩みをしようとする
事だ。心から従う信仰は、御霊に
より、主の心を受けて、主の心で信
仰生活をして行く事だ。主イエスを
救い主として、信じ救われるが、ま
だ心がこの世の事で一杯で、この
世が好きで、この世を楽しみたい。
肉の思いが強い。聖書を読む事、
祈る事、礼拝する事、献げる事な
ど、良い事だと思い、そのようにす
るが、心から行うものではないの
で続かない。しばらくはそうするが、
やがて祈らなくなり、聖書を読まな
くなる。肉の、人間の力では出来な
い、不可能なのだ。「神を求める人
はいない」とあるように、人は神を
求めない。肉は神に敵対している。
それで聖書を読んだり祈る事が苦
痛になって来る。それより世の事が
楽しいし世の事をしていたい。自分
の肉を無理やり、神に服従させると
苦しくて嫌になる。神は違う道を備
えられた。「御霊によって」聖霊が心
に臨まれる事によって可能にして下
さった。霊の事柄が好きになるのだ。
楽しくて喜びがあり、自分からしたい
と願う。あなたは苦痛だろうか、楽し
みだろうか。必要なのは、御霊の助
けだ。
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御霊に導かれているようでも「ねば
ならない」になって行きやすい。ね
ばならない、でも出来ないと気づけ
るのも導きだ。主の導きを信じ豊か
で喜び溢れた信仰生活を送ろう。