2008年07月31日(木)

「なぜなら、神はあらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:29

「なぜなら、神はあらかじめ知って
おられる人々を、御子のかたちと同
じ姿にあらかじめ定められたからで
す」ローマ8:29

家内安全、商売繁盛、無病息災のた
めに信仰している場合がある。自分
の幸せが目的で、信仰はその手段だ。
人格を高める事、自己実現や悩みの
解決が目的、そのような事で神を求
めているなら、神は目的達成の手段
になる。もし、そのために信仰して
いるなら、いつか神から離れる事に
なる。なぜならご利益が目的なので、
祈っても自分の思い通りにならない
なら、神が期待はずれとなる。神に
失望落胆し、幾ら祈っても聞いてく
れない神に、怒りが湧く。そんな神
なら願い下げとなる。しかし、祈り
が聞かれない時も、神には意図があ
られ、私たちの最善のためにとどめ
ておられる。その時は、祈りに答え
られない方が良いのだ。深く高い神
のご配慮がある。自分の目的達成の
ためなら、神を礼拝しているのでは
なく、「彼らの神は彼らの欲望であ
り」自分の欲望を礼拝している事に
なる。神は自分の幸せのための手段
ではない。神を礼拝して生きる事、
そのことが目的であり、私たちの最
高の幸せだ。本当の幸せとは、欲望
が満たされる事ではなく、キリスト
に似せられて行く事だ。試練、苦し
み、痛みを通して砕かれ、削られ、
御子のかたちに変えられる事、ここ
に視点を置く事だ。自分の幸せ、満
足に焦点を置くと、道をはずれ、迷
い、人生が的はずれになってしまう。
喜びの時も苦しみ、悲しみの時も、
神を礼拝して生きて行く時、きよめ
られ成長して行く。
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神様の力で肉的に幸せになりたくて、
祈っているなら答えは期待はずれだ。
御心の成長へと少しでも整えられて
行くことに焦点を合わせ祈ってみよ
う。たくさんの答えが見つかる。