2008年09月30日(火)

『そこでイエスは、さらにこう言われた「わたしに何をしてほしいのか」』マルコ10:51



神を知り、神と親しくなる
ためには、どうしたらよい
のか。そのためには、自分
自身が神に近づかなければ
始まらない。神は無理やり
に、強いられる事は決して
ない。いつも自発的、自由
意志を重んじられる。自分
から神を求めて行くことだ。
バルテマイは、主イエスの
事を噂で、聞いていただろ
う。奇跡をされ、盲人の目
を開ける事のできる方だと
知り、その方がエリコに来
られたと聞き、耳を澄まし
ていた事だろう。主がそば
を通られると聞いて、大声
で叫んだ。「私をあわれん
でください」と。弟子たち
は、懸命に黙らせようとし
た。しかし、黙る事なく、
ますます大声で叫び立てた。
主は彼を呼ばれた。そして
「何をしてほしいのか」と
問われた。盲人だから、当
然目を開けて欲しいとわか
りそうなものだが、あえて
問われた。彼は「目が見え
るようになることです」と
答えた。すると、彼は見え
るようになった。バルテマ
イは主に近づき、必死で主
を求めた。主はその求めに
応じて下さった。つまり、
主はバルテマイから求めを
引き出し、それに答えて下
さった。主は、私たちの求
めを待っておられる。それ
を聞いて答えたいと、待っ
ていて下さる。不平不満で
愚痴っているだろうか。そ
れを主に求めよう。問うて
下さっている「わたしに何
をしてほしいのか」と。
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バルテマイのように主が側
を通られたなら叫ばずには
いられないだろう。来られ
ると知っているなら、求め
は明確にしておく事だろう。
今も主は近くおられる。今
近づこう。