2008年11月30日(日)

「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい・・耐え忍んだ人たちは幸い」ヤコブ5:10

この世の宗教は、悩みや苦しみを免除されるために、苦しみに会わないために信
心する。信仰していて、苦しみに会うなら信心している意味がない。世の価値観
は、苦しみは悪であり、忌むべきものだ。

しかし、聖書はそう言っていない。信仰人生には、数々の試練があると繰り返し
聖書の中で告げている。人生で、大きな小さな様々な苦しみや悲しみ、痛みに会
う。
信仰生活には必ず苦しみや悩みがあり、御言葉もはっきり言っている事だ。それ
にどう向き合うかが大切であり、苦難にあっては忍耐が重要だ。

苦しみにも種類があり、★ヨブの理由のわからない苦しみ★善を行っていて、尚
受ける不当な苦しみTペテ2:19★訓練としての苦しみヘブル12:7★自分の罪ゆえの
苦しみ★主のための苦しみピリピ1:29 等だ。

自分の罪が原因の苦しみは、罪を悔い改めるべきだ。その苦しみは罪を教え、悔
い改めに導くために送られている。そして蒔いたものを刈り取って行く事が祝福
の道だ。

他の苦しみは忍耐する事だ。忍耐とは、ただ我慢する事ではなく、主が必ず良く
して下さると信じる事だ。そこに希望がある。その苦しみを通して、私達は練ら
れ、鍛えられ、聖められる。
そこを経て霊的に必ず一段階成長し、御霊の実を結ぶ。

あなたも今、苦しみの中だろうか。罪なら悔い改め、罪で無ければ、主を待ち望
む事だ。その試練に意味がある。しばらくして必ず平安な結実を見る。

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苦しみ、痛み、悲しみ=悪との価値観がある。価値観の問題は大きい。培われた
古い価値観と御言葉を交換して、神の価値観で物事を見て行けるよう祈ろう。御
言葉によると、試練から忍耐が生じ、試練によって成長する。