2008年12月31日(水)

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」ヨハネ20:27




主は弟子たちに幾度も、「苦しみを受け、殺され、三日目によみがえる」と語られた。しかし、弟子たちは全く信じていなかった。

ローマ帝国をくつがえし、主が王になり、この世界を支配されると、自らの思い込みの中にいたゆえに。十字架など言語道断、有り得ない事であった。

だから信じないし、受け入れない。何度も復活を予告され、実際、死からよみがえられた主は、弟子たちにご自身を現された。しかし、それを伝え聞いた他の弟子たちは全く信じなかった。仲間の言う事を信じない。

「お姿をよく見た、と聞いても、信じようとはしなかった」「ふたりの話も信じなかった」主ご自身がその弟子たちに現れて、不信仰と頑なな心をお責めになった」

不在であった12弟子の一人トマスは、「主を見た」との仲間の証言にも、手の釘跡を見、釘穴と脇に手を入れなければ信じないと言った。

何と猜疑心の強い、頑なな者と思うだろうか。しかし他人事ではない。見たなら誰でも信じる。それは信仰ではない。見たなら信仰は要らない。

見ずに信じる者が幸い。何でもかんでも信じ込む盲信や狂信ではない。しかし、本当のものに出会ったなら、信じようとの意志と決心が必要だ。
信じられないのでなく、信じようとしない意志に気づき、信じる方を選択し決心する事だ。
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み言葉を聞くときも、自分の事として受けとめず聞き流している事はないだろうか。目には見えないし感じないかもしれないが、確かに存在する神様の言葉だ。信仰をもって受け入れよう。