2026年05月11日(月)

「・・そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのもの がはっきりと見えるようになった」マルコ8:25



ベッサイダで、人々が、主のもとに盲人を連れて来て、触って下さ
るよう願った。主は盲人の両眼につばをつけ、両手を当てられた。
「何か見えるか」の問いに、彼は「人が見え、木のようだが、歩い
ているのが見える」と言った。見えるのだが、はっきりとは見えな
い。人が木のように、ぼんやりとだった。見えるようになりつつあ
るが、十分でなかった。

それで、主がもう一度両手を彼の両眼に当てられた。彼が見つめて
いると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになっ
た。いやされた。主に直接触れられ、ぼんやり見えるようになり、
彼が「見つめて」いた時に、「はっきり」見えるようになった。私
たちはどうだろう。主を、じっと見つめているだろうか。

忙しく、慌ただしくて、じっと見る余裕など無いだろうか。主が、
何だかぼんやりしているのは、そのためだろうか。デボーションも、
なすべき事が気になり、心が座らず、立ったままだろうか。主は彼
の目を開かれたように、私たちの見えない目も開いて下さる。御言
葉により触れて下さり、ぼや〜としていたのが、少しづつはっきり
とさせて下さる。主が目を開いて下さる。

彼は、ぼんやりした中も、失望せず、じっと見続けた。今、まだよ
く見えなくても、求め続けよう。御声に耳を傾け続けよう。時間を
かけながら、主は必ず少しづつ〃はっきりと見えるようにして下さ
る。なすべき事は、主を求め続けることだ。求めよう。御言葉によ
り、ご自身を現わして下さる。
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ぼんやりとしか見えなければついて行く事が出来ない。主のご愛や
聖さをもっと知りたい。求めよう。そして主を信頼し、賛美しなが
らついて行こう。