2025年12月13日(土)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて、それを悟る人 のことで、その人はほんとうに実を結び・・」マタイ13:23



種まきの例えで、種は御言葉で、土地は私たちの心だ。礼
拝で、全く同じ御言葉を聞いて、豊かな実を結んで行く人々
と、全く益を受けない人々がいる。それは、土地である心が
問題だと。私たちの心の態度はどうだろう。御言葉を拒む
気は全く無く、聞く事は好きなので、自分は御言葉をよく聞
いていると思ってしまう。

幾らでも聞くのだが、しかし右から左に抜けて、心に留めず、
傍観者的に聞く。映画を観ているように、他人事だ。その時、
悪魔が御言葉の種を奪うので、聞かなかったのと同じにな
る。心に何の痕跡も残さない。又、岩地に落ちるとは、大変
感動し、涙を流して聞く。しかし心の中には、頑強な自我と
いう岩が存在し、それが妨げるので、根ざす事ができない。

そのため、迫害や試練が来ると、立ち行けず枯れてしまう。
御言葉に感動し、涙して聞くだけでは、根ざせない。従う時
に初めて、岩である自我が砕かれて行く。いばらは芽をふ
さぐように、御言葉をふさぐ。伸びようとする芽を、おおって
枯らす。世の楽しみ、富への執着は、芽生えた信仰をふさ
いで枯らす。

心で握りしめているもの、愛する偶像は、神から私たちを
離してしまう。自分は大丈夫と思うが、一番大切なものを
見失って行く。絶えず自らの状態を点検しよう。聞いた御
声に従おう。その時必ず実を結ぶ。信仰人生で、実を結
んでいるなら、御言葉を正しく聞いたという事になる。

・・・・・・・・・・・・・・・
みことばを聞いても、行なわないなら、聞いたみことばを
すぐに忘れてしまうと。種が、土地に植わらなければ、実
を結べない。まず目の前の御霊に示される御言葉に、一
歩従えるよう、助けを求めて祈ろう。