2025年09月13日(土)

「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で 認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で 認めます」ルカ12:8



私たちは、どうしても人を恐れてしまうものだ。そのために、主
を証しできないでいるかも知れない。しかし、主は言われる。
人の前で主を認める者は、主もまた、その人を神の御使いの
前で認めると。そして「恐れなければならな方を、あなたがたに
教えてあげよう」、体を殺しても、それ以上何も出来ない人間を
恐れるなと。

人は何も出来ない。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っ
た方を恐れよと。真に恐れるべきはこのお方だと。一羽の雀す
ら忘れられず、神の御前に覚えられていて、神の許しなしに、
その一羽も地に落ちることはない。当時、雀は価値の無いもの
の代名詞だった。無価値な雀でさえ、主の主権と配慮の中にあ
るなら、ましてや私たちを守って下さらないわけが無いと。

そして証しをする事のために、祈っていよう。祈りを積んでいると、
御霊が、証しの機会を与えて下さる。その時には「何をどう弁明
しようか、何を言おうかと心配するに及ばない」「言うべきことは、
その時に聖霊が教えて下さる」と。言葉を口に授けて下さる。心
配無い。

私たちも経験する。証しをする時に、次々と語るべき言葉が浮か
び、御言葉が浮かんで来たりする。証しする勇気がないと、尻込
みしそうだが、その時には、御霊が臨み、力強く働いて下さる。御
霊の助けがある。今、特に証しをしたい相手がいるだろうか。相手
のためにまずよく祈ろう。主は祈りに答えて、機会を与えて下さる。

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「心配するな」「言うべき事は聖霊が教えて下さる」、この事を経験
する。御言葉が浮かんだり、こういう風に話せばよいと御霊の導き
が来る。証しをしたい人々のために、祈りを積んで行く時、機会を
与えて下さる。祈りを積もう。