2025年12月18日(木)

「・・神のみこころは何か・・何が良いことで、神に受け入れられ、 完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を 変えなさい」ローマ12:2                 


「力の限り、心を見張り、見守れ」とも言われる。心が大切だ。自
分の心をしっかり見張れと。自分の心を見張るなど、ほとんどしな
い。私たちに与えられた自由意志のため、主もそこに立ち入れない。
心の態度は自分の選択であり、選択の結果が現われ出る。主は、あ
なたの態度を支配されず、自由意志を尊重される。

信仰人生、問題は次々と起きる。対人関係の悩みは、誰しも経験す
る。苦しい状況を逃れたい。職場を変わろうか。相手が変われば、
良いのにと思う。又、目の前の問題は、時間を置けば何とかなるか
と、環境、相手、時間の問題にしたいのだが、最大の問題は、自分
の心の態度だ。ヨセフは厳しい試練を受けた。兄たちの妬みで、エ
ジプトに売り飛ばされ、異国で苛酷な状況に陥る。

更に無実の罪で投獄されるが、そこで失望や無気力にならず、腐ら
ず、主を見上げ、御心を求めて行く。すると模範囚となり、監獄長
に認められる。「主はヨセフと共におられ、彼に恵みを施し、監獄
の長の心にかなうように」と、主がされた。が、そこには、主の御
前に、ヨセフの正しい態度があった。

その時、〃に主の御心を求め、その御心に自分を沿わせ、従った。
環境がいかに悲惨でも、心屈折せず、投げ出さず、真っ直ぐに主を
信じ、仰いだ。ヨセフは心腐らせる事もできた。だが絶えず主を見
上げ、御心を求め、主に従った。私たちもどんな辛い時も、主を仰
ごう。主を求めよう。導いて下さる。
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先がわからないと不安でじっとしていられない者だ。何が良い事か、
考えることも出来ない。ただ主に頼っていよう。主の喜ばれる事を
尋ね、主の最善に進めるように祈ろう。