2025年10月12日(日) 「エリは言った。『おまえにお告げになったことは、どんなこ とだったのか。私に隠さないでくれ。もし、おまえにお告げ になったことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾 重にも罰せられるように。』」Tサムエル3:17
「エリは言った。『おまえにお告げになったことは、どんなこ とだったのか。私に隠さないでくれ。もし、おまえにお告げ になったことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾 重にも罰せられるように。』」Tサムエル3:17
祭司エリがサムエルを養育していた。ある日、少年サムエ ルに主の御声が臨んだ。そこでエリの指示に従い「お話し 下さい。しもべは聞いております」と答えた。すると、主から のメッセージは、何とエリの家への裁きであった。 「彼の家を永遠にさばく。自分の息子たちが、呪いを招くよ うな事をしていながら、戒めなかった罪による」と。非常に 厳しく辛い言葉であった。相手は師であるエリだ。エリに伝 える事を非常に恐れたが、主の言葉をありのまま伝えた。 預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にその通りに民に 語る人のことだ。 どんなに痛い厳しい言葉でも、その通りに語らねばならない。 預言者となるサムエルへの、最初のテストであっただろうか。 私たちも、「しもべは聞いております」と主に向かう時に、罪を 示され、肉の姿を照らされる。心刺される言葉、又、自分の 思いと異なる言葉、矯正の言葉は、聞きたくないだろうか。耳 を閉じたい。 しかし痛い言葉こそが、実は聞くべき祝福の言葉だ。それは 愛の言葉であり、自分が変えられ、成長させられる。主は、 絶えず御声をかけ、慰め励まし力づけて下さる。私たちは 主の言葉によって生きて行く。「しもべは聞いております」との へりくだった姿勢で、耳を傾けよう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 時に主は、痛い、厳しい言葉を語られる。聞きたくないものだ。 しかし痛い言葉を聞かなければ、自分が変えられる事も、矯正 される事も、成長する事もない。それは悲しい。主からの愛 の訓練と受け止め、取り扱いにあずかろう。