2025年07月05日(土)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに 人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3


新生した誰もが、生まれつきの古い人、肉がまだある。その肉は、
自我であり、それは「自己中心」と「虚栄」だと。その「自己中心」
と「虚栄」が、教会の一致を妨げるとある。つまり、トラブルが起き、
交わりが損なわれ、混乱がある時、そこに「自己中心と虚栄」があ
ると言っている。「自己中心」とは自分の事しかなく、自分の利益を
求め、他人の事を顧みないことだ。自分勝手でわがままだ。

「虚栄」とは、実質が無いのに、見せかけを誇ることであり、自分
は、他人よりも優れているとうぬぼれることだ。そのためパウロは
「自己中心」や「虚栄」でなく、「へりくだること」「真の謙遜さ」を身
につけて成長することを言う。教会の中に、又、対人関係の中に、
波風、仲たがい、トラブルが起きる時、その自己中心と虚栄の問
題に目を向けよう。

各々が、自分の利得を求め、自己主張して行くと確執が起きる。
その時に、自分は正しく、相手が間違っていると思うので、批判、
非難となる。相手も、同じように自分が正しいと思うので、衝突す
る。この時に、相手を自分よりもすぐれた者と思う、へりくだりが
必要になる。この場合、意見が同じという事でなく、その心の態度
のことだ。

異なった意見を自由に言えて、各々が、相手の立場にも立って考
えられることだ。そこに祈りがある時、御霊が働いて、調和が与え
られる。主の御心を求めて行く時、そこに一致が与えられる。それ
は、主の栄光を求め、相手の立場にもなって考える。相手の賜物
を認め、主の栄光のために用いられる事を喜んで行く。争いが起
きたなら、祈り、もしや自らに自己中心と虚栄が無いかを。御霊に
探って頂こう。

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サタンが、絶えず自己中心へ〃と誘惑して来る。肉と合致するので、
肉はそれを喜び、誘惑に乗ってしまう。自分第一だ。しかし御霊は
そうではない。へりくだりを求められる。自分に死ぬこと。しかし豊
かな実を結ぶ。御霊の方に従い、一歩一歩歩もう。