2009年03月30日(月)

『パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した』使徒14:9



ルステラで、生まれながらの足なえの男性がいて、一度も歩いた事がなかった。その人が丁度そこに座っていて、パウロが語る御言葉にじっと聞き入っていた。

彼は自分の足に関して、何の手だてもなく、どうする事もできなかった。どうやっても歩く事は不可能。自らに全く望みを置けない、完全無力の状態だった。

自分で何もする事ができない。だからこそ、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」とのパウロの言葉にすがった。すがれたのだ。彼にはこの言葉しかなかったのだから。

全望みを置いて信じて賭けた。この言葉がすべてだった。
自分が完全に無力だからこそ、そうできた。その言葉に拠り頼んだ。信仰が働き、神の力が臨み奇跡が起きた。一度も歩いた事のない彼が、飛び上がって歩き出した。

私達も自らの完全無力を知る時が、信じる時だ。何の方策も無く、何もどうにも出来ない。

信じるしか道がない。その時に初めて信仰が働く。自分の力、方法に頼っている限り、自分を信頼している限り、神への信仰は無い。

幾ら御言葉があっても、必ず自分の力、方法でやって行く。そこに信仰の入る余地はない。
信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を任せて行く事だ。

ゆえに、自らの無力を知る事が大きな祝福であり、幸いだ。無力に落ち込む事など無い。
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無力に落ち込むのは、自分に、何かの手だてがあると頑張っているからかもしれない。自分の限界を素直に認めて、謙遜に神様だけに頼りすがる者でありたい。