2009年06月29日(月)

「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14


ペテロは、主に「あなたに従って来たが、何をいただけるか」と質問した。
この問いに、主は、天の御国の価値観は、地上の人間の価値観と非常に異なることを、表された。

ぶどう園の主人は、朝6時から3時間おきに、労務者を雇った。
朝6時の者には1デナリの約束をし、次からは約束はせず「相当のもの」と言った。最後5時の者には何も言っていない。

そして6時になって、最後の者から順に1デナリづつ支払われた。全員1デナリであった。
最後の1時間の者が1デナリで、早朝から12時間働いた者も1デナリだ。

約束通りの1デナリであったが、不平不満で一杯になり、主人に文句を言った。
12時間働いた者と1時間の者が同一金額とはどういう事かと。

ここで、ふと自分を顧みて、自分はどう感じるのだろう。不公平だと思うだろうか。もし不公平に感じるなら、それは自分を朝一の労務者に重ね合わせている。

では、もし自分を最後の者に重ねたらどうだろう。仕事がなく、その日の糧を待ちわびている家族の姿が浮かぶ。何も持って帰れない。家族がどんなに落胆するだろう。
どんなに無力感に襲われていただろう。

そこに1日分丸々の報酬が貰えるとは。私たちもへりくだる時に、初めて、与えられている恵みの大きさが見えて来る。
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自分の分を取って帰りなさいと主は言われる。報酬を、ただ当たり前に受けているから、不公平だとつぶやいてしまう。最善の時に導かれたのだから、自分の分を感謝して受けていこう。