2009年12月30日(水)

「主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」哀歌3:22



ある人が、若くして伝道者に召された。神学校を出て、地方の小さな教会に遣わされた。聖書や神学を学び、ノウハウを学び、意気盛んで、若い人々がそうであるように自信に満ち溢れていた。

主に喜ばれる、理想的な教会を建て上げたいと、燃え、何でもできると思った。しかし、田舎の小さな群れの中で、ズレと摩擦に消耗して行った。人間関係がうまく行かず、又、新来者は皆無に等しかった。

地道な忍耐の要る働きであることを知らず、結果ばかり求め、ますます落ち込んで行った。聖書の知識は豊富にあるのに、目の前の人を導く事ができない。悩み、苦しみ、全力投球の日々の後、燃え尽き症候群に陥ってしまった。

鬱になりかけていた。自分がいかに無力であるかを初めて知った。砕かれた。行き詰まり、もう一歩も進めない状態であった。そのどん底で、主に出会った。慈しみの主は、決して責めも裁きもされなかった。深い愛に包まれた。

自分を真に支えてくれるものは、自信でも、自分の力、知恵、方法でもなく、どんな時にも決して変わる事のない、主の愛である事を知らされた。主の愛の御手に、身を任せた時、かつて経験した事のない深い安堵と平安に包まれた。
苦しみ、不安、煩い、焦り、不満が、感謝と喜びに変えられた。
-----------
自分の中に頼れるものなど何もないと知って行ける事は祝福だ。空の器の中に神様の恵みが溢れている事が頭でなく心でわかる。朝毎に、朝毎に、今日の恵みを受け取って喜んで行ける