2010年03月30日(火)

「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」ローマ8:6


新生した私たちには、御霊と肉があり、御霊の思いが心にあり、同時に肉の思い、自分を中心にする思いがある。どちらも、私たちの心にある。また、悪魔の火矢が、心の思いに飛んで来る。御霊の思い、肉の思い、悪魔からの思いがやって来る。又、他人の声も入って来る。これらの思いが、心で葛藤する。

この葛藤は、すべてのクリスチャンにあり、必ず起こり、良いものであり、この葛藤の中で、成長し、成熟して行く。未信者の時は、肉だけだ。その中に、御霊の思いが入って来たので、混乱と葛藤が起こる。救われている証拠だ。

悪魔の火矢は、前後の関連や、つながりなく、突然、矢のように心に入る。思ってもいない時に、突如思いが来る。突然、昔の傷を思い出し、怒りの相手を思い出す。自分の内に全く思いが無かったもので、外部からの火矢、悪魔からだ。

前後の関連なく、場当たり的なものだ。よく見分けよう。御霊からの思いは平安と喜びがある。私たちが聞いて行く声は、御霊の声だ。自我からの肉の声、サタンの声を拒否する必要がある。

心に浮かぶ思いを、すべて受け入れてはならない。心が沈み、落ち込み、暗くなって行く思いは、御霊からではない。受け入れて行ってはならない。
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自分中心の思いは、サタンの誘惑と合致して強烈な勢いで私達を引っ張る。その結果、また暗く落ち込ませる。無責任な肉の思に従う必要はない。いつも主を見つめ、自分の内におられる御霊に助けを求め、いのちの道を歩んでいこう。