2010年04月29日(木)

「主が振り向いてペテロを見つめられた」ルカ22:61


死んでもついて行くと、豪語したペテロだが、主が捕らえられた時に、主を三度も裏切ってしまった。その時、主は振り向いて、ペテロを見つめられた。その主のまなざしは、ペテロへの愛と慈しみに満ちていた。決してペテロを責めていなかった。赦しと変わらぬ愛の優しいまなざしであった。

だから、ペテロは、外に出て、激しく泣いた。号泣した。後悔と主の優しさが身にしみて、泣いて泣きじゃくった。もし、この時、非難や冷ややかな目で見られたなら、あの後の、リーダーとしてのペテロは無かったし、二度と立ち直れなかったろう。

ペテロは自分の弱さを思い知ったろう。そして、主のご愛を思い知った。主のよみがえりの後、墓に御使いが現れ、女たちに「お弟子たちとペテロに」ガリラヤに行くよう伝えた。「とペテロに」、特別にペテロの心中を配慮した深いご愛と慈しみだ。泣き明かしたペテロに、よみがえられた主が、三度御声をかけ回復さ
せて下さった。

そして、羊を飼うよう使命を与えて下さった。主のご愛はペテロを癒し、よみがえらせた。私たちも同じ愛で、愛されている。どれだけ失敗しても、いつも主の慈しみのまなざしが注がれており、癒し、再び立たせて下さる。ペテロへの特別なまなざしと配慮は、あなたにも向けられている。
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自分の中の醜さや愚かさがあらわにされ深く悲しむ時、同じように悲しみ、それ以上に慈しみのまなざしで見ておられる主がいる。失敗して始めて無力な自分に気づき、主の赦しとご愛を深く知る。