2010年06月29日(火)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです・・主の御霊のあるところには自由があります」Uコリント3:17

信仰生活をしていて、気づくだろうか。私たちは、状況に、相手に、すぐに「反
応」してしまう。丁度「温度計」だ。周囲の状態を正確に表してしまう。

相手が優しく親切であれば。こちらも優しく愛深く接する。相手がいじわるで、
きつく当たって来るなら、こちらも敵対心を抱き、相当の応酬をする。

相手が冷ややかであれば、こちらも愛することができず、冷淡になってしまう。
これならすべては相手次第だ。自分が相手にコントロールされていて、自分が無
い。

自分が無いと、私が怒るのは、相手が怒らせるからであり、怒る事を言う相手が
悪いとなる。自分は正しく、すべて人のせい、環境のせいになる。しかし、信仰
によって生きるとは真逆のことだ。

何があろうと、どうなろうと、人のせいにせず、環境のせいにせず、神を信じて
生きて行く。苦しい事、辛い事のまっただ中で、人のせいにせず、神が良くして
下さること、最善以下はされない事、ご計画があること、愛して下さっているこ
とを堅く信じる。それは人に反応するのでなく、神に反応した生き方だ。

神に向き、御言葉に反応して生きて行く時、人依存から解放されて、自由がある。
周囲の温度に反応する「温度計」でなく、温度を調節する「サーモスタット」だ。
状況でなく、主に、御言葉に心を向けよう。

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人のせい、環境のせいにしていると、心は平安が無く苦しい。そして、自分が変
えられる事がなく、一生成長がない。人や環境のせいにして、自分は決して変わ
ろうとしていない事に、気づく事から祝福は始まる。主に向いて行く時、辛い心
を解放して下さる。