2010年08月30日(月)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3


ある男性が、職場で、仕事上の困難を抱え、解決の糸口が無く、行き詰まっていた。悶々状態にあり、悩んで夜も眠れず、途方に暮れて、神に祈っていた。翌日出勤すると、部下が「考えたのですが、こんな案はどうですか」と提言して来た。

「あっ!」と思ったが、決断できないまま、ちゅうちょして見送った。何か重い心のまま帰宅し、御前に祈りの時を持った。自分の思いや状況や何やかやと、主に告げながら祈った。「神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして・・」との御言葉が心に迫った。

部下からの案は、まさに前夜祈った祈りの答えであった。主が祈りに答えて下さったのだ。うすうすわかっていたのに、素直に受け入れられなかった。それは、自分のプライドのせいだと気づいた。悔い改めて、部下の提案を取り入れたなら、神は素晴らしく祝福して下さり、問題に解決を見た。

しばしば、主は高ぶった私たちにへりくだりを求められる。恵みは低い、へりくだった者へと溢れる。今、妨げているものが、プライドだろうか。十字架の主を仰ごう。むち打たれ、身体が砕かれ裂かれ血まみれになり、身も心もぼろぼろになり、何もかもを捨てて、死にまで従われた方を見続けよう。
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プライドに妨げられ真実が見えないことがよくある。人を自分より優れた者との思いで人に接することが出来たならどれだけ無駄に傷つけたり、傷つけられたりから守られた事だろう。主の十字架を仰ぎながら、今週も歩もう。