2010年09月29日(水)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24


星野富弘さんは、運動中に脊椎損傷し、首から下が動かず、機能不能になった。生きる気力を失い、心荒み、絶望の中にいたが、聖書に触れ、神に出会い、救いに入れられた。その時から人生が一変し、口は動くと、絵筆を口にくわえて、花の絵を描いた。この絵と詩が人の心を捕らえ、深い感動を与えている。

多くの傷ついた人々の心を癒し、温めているのだ。数知れない人々のために用いられている。彼はこう言っている。「命が一番大切だと思っていた頃、生きるのが苦しかった。命より大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」

神を信じたからと言って、奇跡的癒しがあったわけではない。状況は何も変わらない。神を信じても良くならないのか。いや、そうではなく、むしろ、彼が不自由な身体という御心をしっかり受け入れていて、その中で生きているからこそ、人々を励まし、力づけ、引き上げて行く事が出来るのだ。

多くの人々の心を癒し、慰め、神の栄光のために素晴らしく用いられている。十字架を負い、御心を受け入れて生きる時、自分自身に平安があり、そして、それは大きな証しとなり、誰かの心に触れ、響き、捕らえる。どんな状況であれ、自分に与えられたものを受け止め、受け入れて、神に従って歩もう。
そこにこそ、神の栄光が現わされる。
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命も先の将来も神様が一番良い物を与えて下さり、壊れやすい自分の内に主が生きて下さっていると知り歩む人生は、何という平安だろう。いつもそこに立って喜んでいたい。