2010年10月30日(土)

「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか」ガラテヤ3:3


ある人が、職場に嫌な相手がいた。しかし、クリスチャンなので、そう思う事は
非常にとがめを感じた。良いクリスチャンでありたい。だが、相手を見ると憎し
みが湧き上がった。でも、いけないと心で葛藤し、愛の行ないをしようと頑張っ
た。

礼儀正しく振る舞い、外側を繕った。しかし、頑張れば頑張るほど、ストレスは
大きく溜まって行った。悪口は、決して自分からは言わないが、同僚達の言う相
手への悪口、噂話に、しっかり心で同調して、ストレスを発散させていた。

一生懸命に努力するが、決して御霊の実、愛の実を結ぶ事はなかった。逆に内に
こもり、陰険、陰湿になって悪い実を結んで行った。これは内側の問題にきちん
と向き合わずに、外側ばかり良くしようとする事だ。内側が問題なのだ。

行ないを頑張るのでなく、まず、神の御前に、自らの裁く心、憎しみ、敵対心を
認め、告白する事だ。自分の罪に直面し、罪として認める事だ。それは自分と神
との関係であって、相手はいっさい関係がない。

自分と神との間の罪の問題を、主の血潮に拠り頼み、赦しを受け取り、神との正
しい関係になる時、癒されて行く。内側の罪を、外側の行ないでごまかしてはい
けない。ますます悪化する。まず自らの心のありのままを、神の前に向き合おう。

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愛さなければ、とがめが来るので、何とか頑張るが、内に平安は無い。自分が相
手を裁いているので、心が辛い。主との関係がすべてであり、まず相手を裁いた
事を悔い改める時、主と正しい関係になり、自分自身は平安になる。