2010年11月29日(月)

「わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます」ヨハネ14:27



私たちの信仰生活で、不安や思い煩いはどこから来るのだろう。神から目を離して、悩み、問題に焦点を合わせる事による。問題だけに、心が占領されてしまい、目の前の問題でいっぱいになり、支配されてしまう。がんじがらめにされてしまい、恐れと不安で、心はコントロール不能状態に陥る。

海上歩行の箇所で、ペテロが、主を見つめている間は、波と風の湖の上を歩けた。奇跡だ。「ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけた」問題を見た途端、恐くなり、不安になり、落ち込んで行く。私たちも日常生活でいつも経験する。

主と御言葉を見つめている時は、どんなに厳しい、苦しい状況の中でも不思議に平安でおれる。しかし、問題に目を向けた途端、ブクブクと沈んでしまう。心は不安と恐れで一杯になり、苦しくなり、ネガティブな思いに、どんどん落ち込んで行く。

そんな時、神がどのようなお方かをしっかり考える事が大切だ。「空の鳥を見よ」「野のゆりを見よ」と言われる主は、鳥を養うことのできる神、ゆりを装うことのできる神を、見よと言っておられる。

問題を見るのでなく、解決を持っておられる神に目を向けよと。悩みの中で、私たちの焦点をどこに合わせるかが大事だ。問題を見続けているその目を御言葉に転じよう。信仰を向ける時、必ず心に主の平安が臨む。恐れが消えて、主が必ず良くして下さるとの希望が生じる。今、何を見ているだろう。
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問題にのみに思いが傾く時、聖書を開くと心に深い平安が臨み、いるべき所に戻ってきたと安堵する。私達は主がどんなお方か知っている。目に見える所は強烈ですぐに翻弄される弱い者だが、助け手であり平安を下さる主を私達は知っている。