2011年03月30日(水)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び・・」マタイ13:23


自分の軸は、神にあるだろうか、それとも自分にあるだろうか。神か、自分か、どちらに軸があるのか、日常生活の行動や考え方に、そのまま表れてくる。例えば、御言葉と自分の思いが、違った時はどうだろう。自分軸、自分を中心に置くなら、必ず御言葉を捨ててしまう。「そんな事言われても」「出来るはずがない」
「はなから無理」「人にどう思われるだろう」・・自分の思いが大切で、自分の思いを第一にして行く。

神視点にあり、神を中心に置くなら、わからない時は「この御言葉を教えて下さい。わかるように、どうか教えて下さい」と祈って行く。御言葉に従えるように、主に助けと導きを求めて行く。自分の御言葉への態度はどうだろう。自分が御言葉の上に立って、都合が良ければ取り入れて、不都合なら流してしまうだろうか。自我に触れて来る、痛い御言葉は、シャットアウトしてしまうだろうか。

又、御霊が時に「今、祈りなさい」と示される事がある。しかし、自分に中心軸があるなら「後で、祈ればいい」「今は祈る気にならない」「今は疲れているからいい」と余り意識もせずに、御霊の促しを無視してしまう。自分の日頃の態度はどうだろう。気づきから始まる。気づかない限りずっと信仰生活そのままだ。
一つ一つ御霊に従おう。その時、必ず変えられて行く。
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みことばに従おうとするから、従えない自分や、信仰を持って立つ時に与えられる神様からの力を知っていける。求めも、祈りの課題もまたそこから与えられる。素直に聞いたみことばを実践して行こう。