2011年05月30日(月)

「・・神のわざがこの人に現れるためです」ヨハネ9:3

道の途中で、生まれつきの盲人に出会った。そこで弟子達は、主に質問した。なぜ盲目に生まれついたのかと。先祖の罪のためか、本人の罪かと。それに対して主は、本人でも、先祖の罪でもなく、神のわざが現れるためだと、答えられた。

私達は、試練の時、苦しみに会う時、すぐ「なぜ?」「どうして?」と問う。なぜかそうなってしまう。どこまでも「なぜ?」「なぜ?」と追求し、暗闇の中に迷い込む。しかし、答えが全く見つからない。ますます苦しくなって行く。あなたにも経験あるだろうか。そのような時には、率直に、正直に辛い気持ちを、主
に告げるのが良い。疑問、怒り、恐れ、不安、嘆き、悲しみ、心からの叫びを、主に告げるべきだ。

それが詩篇に記されている事だ。感情を抑え込むのではなく、ダビデのように率直に神に告げるべきだ。神はその感情を受け止めて下さる。それは信仰であり、なぜなら神を信じているからこそ、感情を吐露するのであって、信じていない相手に向かう事など決してない。そして、次に「なぜ?」から、この苦しみは「何のため?」と問いを変えてみよう。

何を教えようとされているのか。この事を通して、自分に何を得させたいのか。すると、光が射して来る。どうしてこんな事が?と思うような出来事が、「神の栄光が現れるため」と言われている。
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試練の後に必ず大きな祝福があることを知っていても渦中では様々な葛藤がある。その度に主に告げて行こう。祈りの中で主の御心に導かれて行く。そして試練の渦中も祝福となっていく。