2011年07月30日(土)

「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから・・主 は、きょうののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエ ル16:12

シムイという男がダビデに石を投げつけ、ダビデを呪い、ウリヤ殺害の罪をのの
しった。「血まみれの男、よこしまな者」と。部下が「首をはねさせて下さい」
と申し出たが、ダビデは、主が命じられたのだから、放っておけ、呪わせておけ
と、部下に報復を許さなかった。

ダビデは、神から来たものと受け取った。神からの懲らしめ、訓練と受け止め、
甘んじて受けたのだ。「私の身から出た私の子さえ、私の命を狙っている」、シ
ムイどころか、実子のアブシャロムすら自分に敵対して、歯向かっている。それ
ゆえシムイの呪いも、神から出たものと受け入れた。

何とへりくだった心と態度だろう。「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さ
る」、どのような悲惨な状況の中でも、状況を変えようともがくのでなく、神の
前に、正しい心で、神に適った心でいるなら、それをも主が良い事のために計っ
て下さる。

ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための
計らい」とされた通りだ。相手の悪意すらも、あなたのために益として祝福と変
えて下さる。
状況を見て、即、反応するのでなく、神を見て、状況を見る時、神の介在のもと、
導かれて対応できる。神のお心に沿って行く時、どんな苦しく辛い状況でも、心
を主の平安で守って下さる。

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目の前の事態が偶然でなく、運でなく、サタンにほんろうされているのでなく、
主から来たものと受け取る時に、違う目で見えて来る。主のご計画があり、意図
があり、み思いがある。そこを見て行く時、苦しい状況の中で心が守られ、変え
られて行く。