2011年08月30日(火)

「それで、サウルは主に伺ったが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった」Tサムエル28:6

ペリシテがイスラエルと戦おうと陣を敷いた。サウルはそれを見て恐れわなないた。恐怖の余り主を求めたが、主からの答えは無かった。なぜ答えが無かったのか。サウルは神の言葉に従わずアマレクを聖絶しなかった。又、ダビデを殺害しようとし、ダビデに組したと沢山の祭司達を殺していた。罪を犯しながら悔い改めなかった。やり直せたに関わらず、悔い改めずに罪を重ねて行った。

サウルは神を拒み、神はもうサウルに答えられなかった。ペリシテの大軍に恐れをなした時、サウルは悔い改めの無いまま、神に助けを要求するほど高慢になっていた。その結果、霊媒に頼る事となり罪に更に罪を重ねて行った。主がサウルを去り、サウルの敵となられたこと、王位がダビデに移ること、サウルも息子たちも、イスラエルの陣営もペリシテの手に渡されること、それを聞くとサウルは「倒れて地上に棒のようになった」。

戦いの結果、息子達は殺され、サウルも死に、多くの民も死んだ。ダビデは対照的だ。彼も大罪を犯したが、悔い改めた。神の赦しを受け取り、信仰の生涯を全うした。私達も古い性質があり、弱さがあり罪を犯してしまう。しかし、主の十字架の血潮がある。罪を認め、悔い改めて歩む時、全く赦してきよめて下さる。「赦されている」ここに立つ時、やり直す事ができる。どんな時も、前に進んで行ける。
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くり返し失敗し罪を犯しながら生きて行く者でも、犯した罪に対して悔やみ、悲しみ二度とくり返したくないと祈る者でありたい。十字架を喜ぶと同時に、神を畏れ神に助けられて歩むしかないと、いつも覚えていたい。