2011年12月30日(金)

「敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向い ていたからだ」民数記22:32



預言者バラムが、モアブ王バラクから、イスラエルの民を呪うように頼まれた。
バラク王はバラムに使者を送る。バラムは、神に御心を求めると、呪うな、行く
なと示され、その頼みを断った。ところが再度、今度は大勢の、位の高いつかさ
達を遣わし、多くの金銀を提供すると言われた。バラムは、金銀の満ちたバラク
の家を貰っても、主の言葉にそむく事はできないと言った。

しかし、バラムは心では、金銀の満ちたバラクの家が欲しかった。それゆえ、す
でに神から、「ノー」との示しに関わらず、「主が何かほかのことをお告げにな
るか、確かめ」てみると言う。バラムは口では、「ノー」だが、本心は「イエ
ス」だった。そして自分の心は決まっていた。

主の「彼らと共に行け。しかし、わたしが告げることだけを行なえ」との指示に
従い、出かけた。すると途上で、剣を持った主の使いが現れ、バラムの行く手に
立ちふさがった。ろばはよけた。しかし、バラムは、ろばを打った。抗議するろ
ばと言い争っていると、主がバラムの目を開かれ、剣を持つ主の使いが見えた。

主が「敵対して出て来たのはわたし」だと、反対方向へ向かっているからだと。
バラムは主の言葉に忠実ではなかった。私たちも、主の御心にそれている時、正
しい道に戻すために、道をふさがれる。今、もしこんな状況にあれば、立ちふさ
がれているのは、主であり、それは主の愛であり、計らいだ。
目の前で道がふさがれた時は、単に失望落胆だけでなく、主のお心を祈ってみよ
う。軌道修正されたり、又、深いご計画があり、別の更に良きものに行き着く。

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門を閉じたり開いたりされるのは主だ。反対へ向かっていると気づいている時も、
また気づかず走っている時でも主はそのご愛ゆえに行く手をふさがれる。私達は
目先の事しか見えない者だが何と力強い導き手に守られている事だろう。