2012年01月30日(月)

「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです」マタイ11:6


バプテスマのヨハネが、ヘロデ王にヘロデヤをめとるのは不法だと、はっきりと間違っていると指摘、その結果投獄された。ヨハネは正しい事をしたのであり、自らの投獄は理不尽であり、何の罪も犯していない。神は正義なる方、神の御前に正しく、誠実に歩んだのであり、主が、対処して下さるはずと思っていたのではないか。しかし、投獄後、幾日過ぎても何も起こらない。王国を打ち建てられ、王権を取られるのではないのか。牢獄の中で、孤独な状況にいるヨハネの思いは、どんなものであったろう。

それで弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、別の方〜」と問わせた。不信仰というより更に確信を深められたかった。主はその時に、弟子たちに「自分の聞いたり見たりしていることを」、つまり、あなた方が見た「事実」を告げよと言われた。「盲人が見」これは、救い主のしるしであり、明らかな預言の成就だ。そして主の語った言葉やわざが証しであると。主はヨハネを「来るべきエリヤ」「預言者よりすぐれた者」「ヨハネよりすぐれた人はいない」と認め、受け止めておられる。

裁き主をイメージしたヨハネ、主は十字架で贖いをし、罪を赦される救い主、赦し主であられた。私たちも自分の期待する主のイメージがあるかも知れない。ヨハネは直接主に問うた。私たちもわからない時は、そのまま直接主に、祈りにより問うて行こう。必ず霊的理解を助け、手を取って導いて下さる。
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神を信じていますと言いながら、自分の思いや願いにあわせた主をイメージし期待したり、疑問を持ったりと動揺してしまう。目先の事しかわからない私達は、全てをご存知の主に信頼し、導きに従って行こう。