2012年02月28日(火) 「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」マタイ26:39
「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」マタイ26:39
社寺仏閣での、多くの人々の祈りは「どうか、良いことがありますように」「家内安全」「交通安全」「商売繁盛」「無病息災」手を合わせてパンパンではないだろうか。「苦しみがありませんように」つまり試練に会いませんように、との願いだ。私たち信仰者にも、無意識にそういう思いがあるかもしれない。問題や苦しみは悪であり、安穏無事、問題と苦しみが無いことが善との、この世の価値観が根深く培われている。 しかし、信仰生活の中で、必ず問題に出くわす。大きな、小さな、悩みや苦しみが臨んで来る。「なぜ?」「なぜ?」との思いの中で、苦しみや辛さの中で、祈りつつ段々と、神のみ思いと、自分の思いが違うことに気づいて行く。自分が欲しいもの、望んでいるものと、主が自分に与えたいと思っておられるものが、異なる事に。 自分の思いが強いと、そこの所がなかなか気づけない。又、気づけても、しばしば受け入れられない。しかし、その所に焦点が合う時、神視点に立って、全く別の見方ができて、パズルが解けるように、今までの自分の人生をとらえることができる。 「私は」でなく「神は」に変えてみよう。神は、あなたに何を願っておられるのだろう。あれを、これをと、自分の願いをばかりを求めるのではなくて、神が私に与えたいと願っておられることに、視点を置き換えて、祈ってみよう。 ----------- 問題の中で、思っているほど自分は強くないのだと知らされ、自力から問題の只中におられる主に頼るよう、対応する自分自身が変えられ解放されて行った。神の御思いは、問題の解決ではなく私が変わる事にあった。感謝だ。