2012年03月30日(金)

「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15



ある人に、どうしても嫌で、赦すことのできない相手がいた。「苦い根」であった。それを思うと「苦く」、平安が無い。しかし、どうにも出来ず、悶々としていた。そんな中で、ある時突然、主がその事に触れられ、十字架の主がくっきり、はっきり、目の前に示された。主が自分にして下さった事が見せられた。命を捨てて愛して下さった、赦して下さった・・御霊が臨み、まさに実感としてわかり、涙が溢れて止まらなかった。悔い改めて、心からこの主に従いたいと願った。

その時、あんなに苦しんだ苦い根が消えた。平安の全く無かったその所に、平安が満ちた。その相手が、なぜそんなに嫌だったのか、わからないほど、どうも無くなった。私たちの心にも、雑草が根を張るごとく「苦い根」が無いだろうか。根というのは外側には表れない。見えずに隠れている。誰かに対する妬み、憎しみ、敵対心、恨み、怒り、赦せない思い・・心の深い所に巣くっていて、普段は潜んでいるが、何かが起きた時に、芽を出して、心の畑を無惨にズタズタに荒らす。

人の目には隠せるが、自分にはわかっている。この根を放っておくと、心の中深く張り巡らし、傷がどんどん深くなる。引き抜き、除去するのに、大きな痛みが伴う。今、そのまま主のもとへ行き、告白しよう。主が取り扱いきよめて下さる。恵みから落ちてしまう事のないように、絶えず心を見張っていよう。
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わずかな苦味が大きな悩みとなってしまわぬよう、なぜ平安がないのか、ざらつく感情はどこから来ているのか、ありのままの思いを祈ろう。主が教えて下さり、主がそこに働いて下さる。