2012年08月30日(木)

「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか」マタイ20:15


主人は、早朝、9、12、3、5時に、労務者を雇った。早朝の者たちとは、「1デナリ」の契約をした。9時以降の者たちとは、契約しないで「相当のものを」と言った。そして、夕6時に賃金を支払うが、最後に来た者から順にした。1時間しか働かない者が、意外にも「1デナリ」、丸々1日分の賃金を貰った。

1時間で1デナリなら、早朝の者は、かなりの額を貰えると計算し予想した。しかし全員が等しく1デナリだった。そこで、早朝の者が不当だと文句を言った。しかし、1デナリの契約であり、主人は何も不当ではない。皆に同じようにしてやりたいと、主人の心だ。後の者が分不相応の扱いを受け、後の者が先になり、先の者が後になると。

神は働きに正比例ではなく、分を越えて遙かに良くして下さる「恵み」の世界を現された。実は早朝の者は大きな恵みを受けていた。早朝から報酬が約束され、夕刻には手に出来る。家で待つ妻子の喜ぶ姿を思い、1日平安に働けた。又、実は主人のために、朝早くから多くの時間働ける事は何と喜びだろう。これは恵みの世界だ。ここから離れると、不平不満、損得勘定になる。

私たちの主への態度はどうだろう。5時の者たちはどんなに不安の中にいただろう。この者たちを深く憐れまれた。主は気前の良い方であり、憐れみ深い方だ。この憐れみが、あなたにも注がれている。
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いつでも自分を9時からの者と重ね、どれだけ不相応の憐れみと恵みが自分に注がれているかを、すぐに忘れてしまう。そういう者が主と共に歩めている。この幸いな時間に感謝したい。