2012年12月30日(日)

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣


ある人が、初めて教会へ来た時に、「義人はいない。ひと
りもいない」「あなたは罪人です」との説明を受けた。正直、
カチンと来た。法に触れる罪を何ら犯してはいない。人一倍
真面目に生きて来たつもりだ。それがどうして?しかし、教
会で聖書の学びを続ける内に、聞いた言葉が、耳を離れず、
心に留まり、罪人ということを考え続けた。

様々な思いが巡る中で、今まで、全く考える事もなく、目に
も留まらなかった、心の内側のことが見えて来た。自分は、
施設で、人々のために、身を粉にして一生懸命頑張っている
と思っていた。周囲の皆にもそう思われていた。良い人であ
り、皆に感謝されていた。しかし、心の内を見た時に、自分
が人に良い人だと思われたい、嫌われたくない、受け入れら
れたい。それなら目の前の入所者の人々のためではなく、自
分のためではないか。

人々からの賞賛は心地良い。仕事も、自己実現のため、生き
甲斐のある仕事がしたいからだ。それなら自己満足ではない
か。物腰は低く、決して外には出さないが、しかし、心の中
では人々を見下している自分、自分が正しいと常に思ってい
る自分。御言葉を学ぶ中で、御霊の光が来て、自己中心、高
慢、プライド、虚栄心・・が示された。

御霊の光が無ければ、罪はわからない。誰だってしている。
こんな事、当然であり、何が悪いのかわからない。罪がわか
ること自体が大きな恵みであり、御霊が力強く働いていて下
さる証拠だ。感謝なことだ。
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みんなしている、そんなことが罪かと思うようなことが罪だ
と理解できるのは、決して自分発ではない。御霊の光を通し
て日々教えられ、示されている。御霊の示しに敏感でおれま
すように。