2013年01月30日(水)

「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます」Tヨハネ2:17


ダビデは、水浴びするバテシバを見た時、心の内で、み言葉が響いただろう。「姦淫してはならない」。しかし、もう一つの声も聞こえた。「自分は王でありトップだ。妨げる者は誰もいない。誰にもわからなければよい」。こちらの声が勝って、従ってしまった。しかしバテシバは妊娠してしまう。

これを何とか隠ぺいする策を考えた。戦場から夫ウリヤを呼び戻し、ウリヤの子供という事にしようとするが、彼の忠実さゆえ失敗に終わる。次にはウリヤ殺害計画に至ってしまう。ウリヤに隊長への手紙を持たせ、戦場に返した。「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残して退き、彼が死ぬようにせよ」と。ウリヤは死んだ。

ダビデはバテシバを妻として、男子が生まれた。「しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった」。主はすべてを見ておられた。二つの声がいつもある。どちらに聞き従うかで、結果は天と地の差になる。欲望にかられ、犯した罪を、おおい隠そうと、もはや歯止めがきかない。罪から罪へと進む。欲望は遂げるが、神との関係を損ない、失って行く。自分で、わからなくなって行く。

主が介入され、ナタンを遣わし、ダビデを悔い改めに導かれた。
幸せとは、自分の欲望を満たす事だと勘違いするが、真の幸せは、主のみ声に聞き従い、主の御心のために生きることにある。そこには何にも代えられない御霊の喜びがある。
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御心か自分の欲望かどちらかを自分の意志で選んでいる。御霊の喜びを知り、聖められる機会を逃してしまわぬよう、その選択のチャンスに敏感でたい。