2013年02月27日(水)

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」詩篇34:18

 
今、目の前にやりにくい対人関係、又、難しい状況があるだろうか。信仰人生、成長するためには、自我が砕かれる必要がある。自我が砕かれる時は、非常に痛い。苦しく辛い。しかし砕かれるほどに平安と喜びが広がる。この自我を砕くために、主は取り扱われる。

目の前に、難しい人や状況を置かれる。あなたの前に、非難し、批判し、敵対して来る人、愛せない人、うまく対応できない苦手な相手を置かれる。私たちは、自分の力で、そこそこ親切にできる。思いやったり、配慮できる。しかし、愛してくれる相手に対してであり、「自分の敵を愛」する力は無い。お手上げだ。

私たちの反応はどうだろう。敵対して来る相手が悪いとしか見えない。相手の問題であり、相手のせいであり、自分に問題はない。しかし心は重く苦しい。自分は悪くないと思うが、平安は無い。相手の問題と思っているが、何も変わらない。それが続いて初めて、もしかして自分の問題であり、自分への訓練ではということに思いが至る。

自分にも相手に対する憎しみや裁く心がある。その時、「私を変えて下さい」との視点に変わり、その祈りは答えられる。主が働かれる。そして、訓練を受け入れ始めると、状況に関わらず、心に平安が広がって来る。主は私たちが砕かれた心を持つために、辛い事、苦しい事、を与えられる。変えられるためだ。砕かれたたましいは、ただ主に頼り、主に拠りすがる。
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自分が変わるしかないが相手しか見えなければ変われない。私に対する主の取り扱いと、背後の主を見れば、大きな慰めと恵みに変わる。誰が変わるより自分が変えられたいと祈っていこう。