2013年03月30日(土)

「すべての懲らしめは・・悲しく思われるものですが、後になると、 これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル 12:11



信仰を持つという事で、人々は勘違いをする。信仰を持てば、悩み
の無い人生、問題の無い人生が約束されると。順風満帆な一生を期
待する。神が愛なら、苦しい事を与えるはずがない。苦しみは悪で
あり、愛と苦痛が対極にあり、リンクしない。

人間がどんなに酷いものでも、神が愛であるなら、悩みの無い人生
を与えるべきと考える。そうでない神は必要無い。しかし、まこと
の主は、聖書全巻を通して、試練があり、苦しみがあると言ってい
る。

「それは、あなたがたを苦しめて、あなたがたを試み・・」「キリス
トのための苦しみをも賜った」「あなたがたを試みるためにあなた
がたの間に燃えさかる火の試練」のように。しかし、それを通して
「平安な義の実を結ばせる」と。

試練は実を結ばせるためだと。試練により、人は自分の本当の姿を
見せられる。「あなたの心のうちにあるものを知るため」だと。ど
んなに無力で、弱い者かを思い知らされる。心の底にあるプライド
や妬み、虚栄心・・試練の中で初めて知る。

それらを認めて行く時、解放されて行く。又、何に依存しているの
だろう。普段気づかない事に、気づかせられる。富か、人か、仕事
だろうか。目に見えるものから、神依存に変えられる時だ。神に拠
りすがって行く時に、平安を経験する。ありのままの心の内をまず
主に、言い表そう。そこから導かれて行く。

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試練は嬉しくなく、「悲しい」が、それは「訓練」であり、「後
に」「実を結ぶ」。「ご自分の聖さにあずからせ」るためだと。今、
目の前にある試練を、逃げずに、受け入れられるよう祈ろう。向き
合う時、乗り越えさせて行って下さる。