2013年04月29日(月)

「あなたに代わって、私の心は申します。『わたしの顔を、慕い求めよ』と。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます」詩篇27:8


人は、順風満帆の時、物事がうまく運んでいる時は、なかなか主を求めない。主に頼らなくても、自分で歩んで行けるので、主が飛んでしまっている。何かに行き詰まった時に、物事がどうやってもうまく行かない時、失敗したり、挫折したり、健康を損なったり、災難に会った時に、主を求める。主を求めるのは、試練の時だ。

又、強い願望がある時、受験や就職試験の合格や、どうしても進みたい進路があったり、何かがどうしても欲しい時に、主を求める。しかし、欲しい物を手に入れると、又、主を忘れる。物をもらう手段になってしまう。荒野のイスラエルのように、「苦しい時の神頼み」で、問題が過ぎ去ると「順調な時の神離れ」になる。苦しい時に、主に頼るのは良いが、そこにとどまるのでなく、「時が良くても、悪くても」晴れの日も、雨の日も、絶えず主と共に歩む、真の喜びへ導きたいと願っておられる。

ある婦人は孫を可愛がり、とても愛していた。しかし、孫が連絡をして来るのは、お金が必要な時だけだった。その他の時は、いっさい連絡は無かった。彼女は孫と会いたいし、いろんな話を聞き、交わりたいと悲しくてならなかった。私たちも、御父のもとへ行くのは困った時だけだろうか。そうではなく、御父は日毎にあなたの声を聞き、語りかけ、交わりたいと願っておられる。交わりを待っておられる。「あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」と。
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苦しい時、困った時だけの求めではなく、常に主の御顔を仰ぎ慕い求めていたい。些細なつぶやきも喜びも主に語り、主と共に歩んでいる実感を味わっていたい。