2013年06月29日(土)

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたが たの間ではそのような心構えでいなさい・・キリストはご自分を無に して、仕える者の姿をとり・・」ピリピ2:4 

     
     
信仰生活で、色々な問題にぶつかるが、対人関係の悩みにしばしば
直面する。職場でもトラブルは、仕事そのものより、対人関係によ
るものが多いと言われている。その対人関係で問題が起きた時に、
こじらせて泥沼となり、どうしようもない困難な状況にしてしまう
事がある。

それは相手を責めて、悪いのは相手であり、相手を変えようとする
時だ。相手は反発し、心を閉じて、ますます頑なになる。争いが根
深くなるばかりだ。相手を変えようとして、相手が変わる事は決し
てない。相手を裁くのは、相手がどうのより、自分の思い通り、期
待通りでないことに我慢できないからだ。

どうすれば良いのか。相手を変えようとしない事だ。相手を変える
のでなく、自分が変わろうとするなら、確実に問題解決へと向かう。
争いの原因は、人の内にある欲望であって、自分中心にその欲を満
たそうとするところにある。人格的、信仰的未熟さによる。未熟は
未熟で構わない。問題ない。これから成長して行けばよい。

しかし、問題は自分が未熟だと思っていない事だ。相手は未熟だが、
自分は未熟ではない。自分の未熟さを認める以前に、気づいていな
い。しかし成熟した信仰者なら、そういう事態にはならない。主に
向かい、そこを認める時、問題解決の糸口を見出した事になる。

自分の内側を御霊に探っていただくなら、様々な気づきが与えられ、
平安へと導かれる。そしてへりくだって示しに従う時、御霊の喜び
へと導かれる。

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目の前の対人関係は、主から来ている。主からの取り扱いだ。そこ
に主を認める時、色々な気づきが与えられ、成長へと導かれる。自
分が変えられ、大きな祝福とされて行く。まずそこに主を認めよう。