2013年08月30日(金)

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」詩編23:1


ダビデは勝利に次ぐ勝利で進軍していた。そんなダビデを女たちは「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と。それを笑いながら、繰り返し〃歌った。サウルは激しい妬みで、ダビデの命をつけ狙った。ダビデは逃げ回り、常に、いつ殺されるか知れない恐怖の中で、死と隣り合わせだ。

敵の執拗な攻撃、身体も弱り、その上、信頼していた親しい者の裏切りと、四方八方からの苦難が襲いかかり、身も心も壊れるばかりの苦しみにあった。詩編の様々な箇所で、その苦しみ、悲しみ、嘆きを、心の内を、率直に神にぶつけて、訴えている。気持ちをそのまま神に告げよう。


又、同時に、ダビデの素晴らしさは、失ったもの、無いものに目を留めるのでなく、有るもの、与えられているものに目を向け、溢れるばかりの感謝を献げて行った事だ。ダビデの信仰だった。四面楚歌で、失望と絶望のどん底のような中で、いつも命が守られている事、すべての危機から救って下さっている事、心に霊の喜びと平安を下さる事を感謝した。どんな状況でも「信仰」により「乏しい事は無い」を選択し、そこに立つからこそ、恵みが見えて来る。

「私は乏しい」に立つと、あれも無い、これも無い、何も無い、無い状態に陥る。それが御言葉に立つことを選択すると、不思議に隠れて見えなかった恵みと感謝が見えて来る。あなたはどうだろう。どちらに立っているだろう。「私は乏しい」だろうか、「私は乏しいことがありません」だろうか。
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主と共に歩む人生の初めから天に帰る日まで「乏しい事は無い」を選択して歩んでいたなら、どれだけ多くの思い煩いから守られた事だろう。私は決して乏しくないと感謝して生きたい。